こんにちは。株式会社SRETANHOUSE代表の「こばやん」こと、小林功基です。
僕はこれまで20年近く、プロのサッカー指導者としてピッチに立ち続けてきました。 幼い頃から人の目を気にし、失敗することを何より恐れていた僕は、「間違えないように」「変な目で見られないように」と必死に自分を守るために努力してきた人間です。
だからこそ指導の現場でも、どう声をかければ子どもが動くか、どうチームを組めば狙い通りの展開が作れるか、頭の中で何重もの伏線を張り巡らせていました。まるでテトリスのブロックを隙間なくはめていくように、完璧な準備とシナリオ(計画)を作り込むことだけが、自分を守る唯一の防具であり、指導者としての価値だと思い込んでいたのです。
でも、正直に打ち明けます。 45歳になった今、僕は「これから先も指導者を続けるべきなのか、それとも退くべきなのか」と、自分自身の生き方や役割について、改めて深く問い直し、探求している真っ最中です。
これは決して後ろ向きに落ち込んでいるわけではありません。20年のキャリアを経た今だからこそ、自分の生き方をアップデートするための「新しい自分探し」のワクワクする葛藤です。
今日は、代表やプロ指導者としてではなく、いま愚直に自分自身と向き合っている一人の人間として、僕が辿りついた「指導と人間味」についての気づきを書いてみようと思います。
1. 外の世界の「武器」と、家庭での「無力感」のあいだで
指導者の仕事をしてきて、知識や経験を重ね、キャリアや責任を持つようになると、周囲から認められ、目に見えて結果や評価が返ってきます。それは確かに、自分に大きな自信をつけてくれました。
ですが、プロとしてのキャリアを積んできた世界から、現在は家庭で我が子と過ごす時間も増えていきました。そして、そこで突きつけられたのは全く違う現実でした。
相手が理解できるような言い回し、安心して挑戦できる空気作り、顔の表情や声のトーンの調整——。 これまで20年かけて磨き上げ、自信の裏付けとなってきたプロとしての「引き出し(武器)」を全部出し切っても、目の前の我が子には全く通用しないのです。
子育てには正解がないし、誰も評価なんてしてくれない。 サッカーの指導なら90分でホイッスルが鳴って終わるけれど、家庭のリアルは終わらない。 ルールは一瞬で破られ、兄弟喧嘩が始まり、心を込めて作ったご飯を「美味しい!」と喜ぶ子がいれば、もう一人は文句を言って一口も食べない。お風呂に入れようとどんなに作戦を立てても全滅する。
そして最後には、僕自身が指導者として一番嫌悪し、絶対に避けてきた「感情をコントロールできずに大声で怒鳴る」という姿に行き着いてしまう。
外の世界で掴み取ってきたはずのキャリアも、磨いてきた技術も、目の前の我が子の前では鮮やかに無力化される。 「自分が積み上げてきた自信って、一体何だったんだろう?」と、自分の土台がガラガラと崩れていくような、なんとも不思議で生々しい敗北感を味わいました。
毎日この終わりのない現場と向き合っている世のお母さん・お父さんたちのすごさを、身をもって痛感した瞬間でもありました。
2. 「正解」を求めて積み上げてきたはずなのに、迷子になった
失敗したくない。間違えたくない——。 そうやって準備をし、成果を追うことで生き抜いてきた僕にとって、家庭でのその「正解のなさ」は、自分の指導スタイルそのものを大きく見直すきっかけになりました。
時代を見渡しても、令和のいま、AIを開けば一瞬で答えが出てきて、美しい絵も、音楽も、マニュアルも手に入る時代です。
そんな世界の中で、ふと立ち止まってしまったのです。 「僕が間違えないようにと必死に作ってきたシナリオは、一体誰のためのものだったんだろう?」 「最初から答えや情報に囲まれて育ってきた今の若者や子どもたちに、僕が失敗を恐れてガチガチに作り込んだ指導は、本当に届いているのだろうか?」
失敗を恐れて自分の決めた枠(型)に閉じこもれば閉じこもるほど、どこかつまらなく、手触りのないものになっていくような気がして、僕は自分の関わり方の限界を感じていました。
3. 「やり方」ではなく、親としての「心の余裕」へ
子どもや若いスタッフが本当に求めていたのは、AIが吐き出すような「間違えのない完璧な正解」ではありませんでした。目の前で一緒に悩み、失敗し、感情を揺らしながら泥臭く向き合ってくれる「生身の人間」の姿だったのです。
じゃあ、完璧な答えを用意するのをやめて、僕は現場でどう立ち振る舞えばいいのか。
我が家では数々の失敗を経て、リビングのホワイトボードを囲んで子どもたちとルールを話し合うようになりました。 でも、ここで本当に大切だったのは「ホワイトボードを使う」という手法(やり方)そのものではありませんでした。たまたま我が家にはそれが合っていただけで、大事なのは「僕自身に、子どもの言葉や答えを待てるだけの『心の余裕』が生まれていた」ということでした。
完成された指示を上から渡すのをやめ、自分が裏で何を考え、どう迷っているのかという「思考のプロセスそのもの」を隣に差し出す。
なぜあの時自分に余裕があったのか、どうやったらその余裕を作り出せるのか、正直なところ僕にはまだ分かりません。 でも、最初から正しい答えや綺麗なノウハウを持っている大人なんていないのです。
誰よりも準備し、誰よりも失敗して、いまも「親としての余裕ってなんだろう?」「指導ってなんだろう?」と悩み続けている——その泥臭い探求プロセスそのものをさらけ出すことこそが、いま僕が関わる人たちと一緒に作れる一番リアルな「ライブ」なのだと感じています。
最後に:迷い、探求している時間こそが、人生の味わいになる

今でも僕は、自分が指導者を続けるべきなのか、次のステージへ進むべきなのか、自分自身の生き方を模索し続けています。 でも、そんな「現在進行形で自分を探求している途中」だからこそ、今目の前で関わってくれる子どもたちや保護者の方々、スタッフに対して、飾らない素顔で向き合えるような気がしています。
最初から正しい答えを知っている大人なんていません。 完璧な人間なんてどこにもいません。
もし今、何かに行き詰まり、「自分の選んできた道は正しかったのだろうか」と自分探しの中にいる方がいたら、どうかその時間を面白がってください。
泥臭く悩み、葛藤し、自分を探し続けている時間こそが、あなたという人間に深い味わいと色気を与えてくれています。
スレタンハウスは、完璧な答えを教える場所ではなく、そんな人間のリアルなドラマを一緒に愛し、面白がれる場所でありたいと思っています。
これからも、迷いながら、面白がりながら、皆さんと一緒に「泥臭いリアルな物語」を歩んでいけたら嬉しいです。
株式会社SRETANHOUSE 代表取締役 小林 功基